top of page
検索
山茶花や供御ととのへし民あはれ
[表] 真野にて 山茶花や供御ととのへし民あはれ 碧 [傍の碑] 河東碧梧桐 1873~1937 俳人 愛媛県松山市出身 山茶花や供御ととのへし民あはれ 明治四十年来島の時、真野御陵を参拝して、順徳天皇のご生活をしのんで詠んだ。碧梧桐は、虚子とともに子規の俳句革新運動を助け...
砂白ろ尓庭燎焚くらむ楠の冬
[表] 大山祇神社に詣でる 砂白ろ尓庭燎焚くらむ楠の冬 [裏] 河東碧梧桐《かわひがしへきごとう》(本名秉五郎)明治六年二月二十六日生 昭和十二年二月一日沒。松山に生まれ、父が正岡子規の漢学の師、兄が子規の友人であったため、早くから子規に近づき、また高浜虚子とも少年時代より...
跳びあへず渦巻く鮎のひねもすなる哉
[表] 播州寐覺 跳びあへず渦巻く鮎のひねもすなる哉 [説明文] 播州寐覺 跳びあへず渦巻く鮎のひねもすなる哉 大正五年五月二十八日、河東碧梧桐が闘龍灘を訪れたときの句である。 六朝風《りくちょうふう》書体で大幅にしたためた句を闘龍灘の大岸壁に彫り刻む計画であったが中断とな...
庵に在りて風飄々の夏衣
[表] 庵に在りて風飄々の夏衣 碧 寸人豆馬亭百歳記念 [説明] 養老公園と豆馬亭の百周年を記念して豆馬亭の当主が建立。 碧梧桐は昭和9年(1934)より11年まで数度、岐阜市鏡島の門弟塩谷鵜平(えんや うへい)の案内で大垣、養老に訪れ、句会・揮毫(きごう)会を催している。...
きみを待したよ櫻散る中を歩く
[表] きみを待したよ櫻散る中を歩く 碧[印] [説明] 碧梧桐が来訪し、この碑の建つ別子ライン沿いで生まれた句である。建立者の一人である本田三嶺子によると、この時、碧梧桐は数人の俳人と共に集団の一番後ろを歩いていて、桜に見とれていた為に遅れてしまい、思わず口をついて出た言...
小春雲綿と飛ぶ松沈むかと
[表] 大内峠 小春雲綿と飛ぶ松沈むかと 碧 [裏] 大正三年仲春 蘇江 無垢助 洗心 [説明] 碧梧桐は続三千里の旅(明治42年11月頃)でこの天橋立周辺に訪れており、下駄で大内峠に登る。 大正3年11月、成相山や桜山に訪れ、その次の日にこの地の俳人たちとともに大内峠に登...
知多郡鵜の山にて 鵜の音雛(モロ)とも巣立つがもろ音
[表] 知多郡鵜の山にて 鵜の音雛(モロ)とも巣立つがもろ音 碧 [裏] 昭和十一年五月南遷移の途次茲に〇を曳きて吟あり 昭和二十四年五月 建立者 半田市 吉田榮 浅田斗南 喜谷六花 書[印] [説明] 碧梧桐は大正13年以降数回、愛知県知多半島地方に訪れている。...
bottom of page