碧梧桐句碑酔うてもたれて正月の屏風[表] 酔うてもたれて正月の屏風 碧 [説明文] 河東碧梧桐《かわひがしへきごとう》(一八七三~一九三七) 俳人。名は秉五郎(へいごろう) 松山の人、旧制三高中退。 酔《よ》うて もたれて 正月《しょうがつ》の屏風《びょうぶ》 正岡子規に師事、俳句革新運動を助ける。...
碧梧桐句碑水鳥群るゝ石山の大津の烟[表] てふてふうらからおもてへひらひら 山頭火 水鳥群るゝ石山の大津の烟 碧 はるさめの石のしつくする 井泉水 [説明] 種田山頭火のお墓がある、山口県防府市の護国寺にある句碑。ここには多くの山頭火句碑があるが、この句碑は3基目に建ったもの。...
碧梧桐句碑下草歯朶ハ萩はほろゝゝ散りこぼれ[表] 榊山公園にて 下草歯朶ハ萩はほろゝゝ散りこぼれ 碧 [側面1] 平成二年三月吉日 新宅悦雄 長尾健次郎 大藤潔 本宮典明 [側面2(説明文)] 河東碧梧桐(一八七三~一九三七) 俳人、松山市生れ 正岡子規に師事し、友人高浜虚子と共に俳句革新運動を推進し、自由律、無季...
碧梧桐句碑汐乃よい船脚をせとの鴎ハかもめ連れ[表] 汐乃よい船脚をせとの鴎ハかもめ連れ [説明] 岩波文庫『碧梧桐俳句集』によると、この句の説明として「(昭和三年二月)四日徳島に赴き4泊、撫養に出て折節大汐の鳴門を観、同地一泊」とある。 生口島ゆかりの句ということではなさそうだが、瀬戸内海を見た際の句で間違いないと思...
碧梧桐句碑瘞紅の碑あるあり四山眠れるに[表] 碧梧桐 瘞紅の碑あるあり四山眠れるに [説明文] 松山市の人、高浜虚子と共に、正岡子規門下の二秀俊といわれた。全国を俳句行脚して「新傾向運動」をすすめる途中、尾道を訪れたときの句である。 [説明] 説明看板によると、三千里・続三千里のときの句であるとのこと。...
碧梧桐句碑獨歸る道すがらの桐乃花おち[表] 獨歸る道すがらの桐乃花おち 碧 [説明文] 独り帰る道すがらの桐の花おち 碧 河東碧梧桐(かわひがしへきごどう) 明治6年(一八七三)~昭和12年(一九三七) 明治、大正、昭和期の俳人。愛媛に生まれる。高浜虚子とともに正岡子規門下の双璧といわれた。子規の没後、虚子と...
書き起こし山陰景觀の種々相河東碧梧桐著『中央公論』p.370-379 昭和7年9月(通巻537号)掲載 色々準備ができたら青空文庫に載せたいなどと考えていますが、それまではこちらで公開。 http://takuhi-shrine.com/material.html >西ノ島町誌>観光原稿...