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瘞紅の碑あるあり四山眠れるに

[表]

碧梧桐 瘞紅の碑あるあり四山眠れるに


[説明文]

松山市の人、高浜虚子と共に、正岡子規門下の二秀俊といわれた。全国を俳句行脚して「新傾向運動」をすすめる途中、尾道を訪れたときの句である。


[説明]

説明看板によると、三千里・続三千里のときの句であるとのこと。

続三千里を確認すると該当句を見つけることができなかったが、「瘞紅の碑」について言及している記載があったので、以下に引用。

「十一月十七日。曇、霰降る。

 (中略)鐘撞堂のほとりに一基の石碑がある。縦三尺余、幅一尺ばかりの普通の四角な碑である。篆額に「瘞紅碑」の三字が見える。山陽と竹田の二人と、同人則々庵の祖父にあたる人の三人の書が刻してあるという。文章を読むと、ここに挿花の枯死したのを埋めたという来歴が書いてある。山陽通の猶存は、最初の二三行の書は山陽に相違ない、と保証する。尾の道が要津を控えて、文華早く開けたのみならず、土地の旧家が風流三昧に耽溺して、時の文人墨客を欵待し優遇した史実は、この一碑の面にも明瞭な印影を留めておる。六朝の瘞鶴銘を模した気取りかたに見ても、煎茶趣味が那辺にまで及んでおるかがほぼ想像される。雨露に晒されて、今は見る影もなく寂びれておる。今日ここにかかる碑文の現存することを注意する人も少ないであろうが、尾の道趣味を代表するものとして、保存の道を講ずべきものだと予がいう。鶴水館泊。(備後尾の道にて)」


千光寺には「文学のこみち」という散歩道があり、道沿いには尾道ゆかりの文学人の詩歌・小説の一編が石碑になったものを見ることができる。正岡子規の句碑もある。


字が本人のものであるかどうかは定かではない。



場所:

千光寺大師堂そばの岩

※非常に見えづらいため、また文字が見えやすい写真を撮りたい


最終来訪日時:2021.10.27



参考文献:

・続三千里(下),講談社,昭和49(1974)年9月,第1刷(p56-57)



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