[表]
一色に菊白しきるまじと思ふ 碧
[説明]
碧梧桐が三千里の旅で、秋田県・西馬音内に訪れた際、紫陽花という俳人(本名:柴田政太郎)の別荘「対川荘」に逗留した。
句は句集に残っていないが、三千里の明治40年8月12日に「対川荘」に訪れた記載があり、その際に「家の側に、小菊を寄植にしたのが花壇の中にあって今花を咲きそめておる。その花が白の一色なので目もさめるようである。」という文章があり、この風景が句になったと考えられる。
字体も恐らく当時の、六朝体風を練習し始めて半年ほどの、成熟していないもので、大変珍しいという。
秋田魁新聞「秋田いしぶみ散歩」の記事によると、この句碑が建ったのが明治40年8月。碧梧桐が三千里の旅で西馬音内を訪れた直後で、もし本当であればすべての碧梧桐句碑の中で一番古いものである可能性がある。
場所は「川原田公園の一隅で、対川荘の右手。佐藤信淵文庫に続く小道の傍ら、赤松の幹の側に立っている。」
現在、「対川荘」の建物は残っているが、私有地になっており立ち入りができない。
句碑の画像は、羽後町歴史民俗資料館から許可を得て掲載しています。
場所:
対川荘庭
最終来訪日時:2024年6月17日 現在見ることができません
・島田三光著『革新の書人 河東碧梧桐』,思文閣出版,平成21(2009)年12月発行,p149
・「秋田いしぶみ散歩」秋田魁新聞夕刊,昭和52年11月13日
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