『登山とスキー』新年号,黎明社,p.21-25 昭和10年1月
色々準備ができたら青空文庫に載せたいなどと考えていますが、それまではこちらで公開。
俳句引退後、登山家碧梧桐による文章です。
この雑誌で「登山は冒険なり」や「登山昔話」が掲載され、この二つの文章は後に随筆集である『煮くたれて』に掲載されましたが、この「山岳漫談」については掲載されず、碧梧桐全集にも無さそうでしたので、文字起こししてみました。
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日本アルプスも、國立公園になつて、たうとう中部山岳地帶とか何とか改稱されることになりましたね。名前はどうでもいゝやうなもので、初めはギゴッチなくも、久しく言ひ馴れゝば、それで落著くものですが、たゞアルプスは西洋輸入名で、日本の國立公園にふさはしからず、といふやうな狹國粹論、偏右傾説に左右された跡のあるのは遺憾千萬です。言ふまでもなく、言葉といふものは、時代によつて新陳代謝するものです。輸人であらうと注入であらう、と、それが大衆にピンと來るものなら、自然に永續性をもち、いつか國語化してしまふものです。ステンシヨはどうですか、ハンケチはどうですか、もうそれは立派な國語ではありませんか。そんな細かいものは、どうでもいゝといふなら、木曾川の日本ラインは如何です。地方の鐵道、保勝會など、日本ラインの宣傳ビラを撒きちらしてゐます。これも御法度といふことにしたいものです。日本ラインもキザないやな名だと思ひますが、木曾川下りよりか、大衆にピンと來るらしいです。
アルプスも、今日では世界語──日本語よりももつと廣い──になつてゐるやうです。タンサン、マカロニ、さういふものと一つになつて、世界到る處通ぜざるなしです。世界の言葉が一つになる時代、それは今のところ空想であるかも知れませんが、其の理想の尖端を行くものとして、一語でも多きを望むべきではないでせうか。アルプスを外來語として排斥するなどは、言語に對する認識の下足な、むしろチヨン髷的な、悲しむべきユーモアに過ぎないではありませんか。
實際にこの日本アルプスを發見したのは、お國自慢の同胞でなかつたことの皮肉な事實があるぢやありませんか。よしんば外國人であらうと、發見者に對する敬意を忘れたくないのが、我々の誇りでないでせうか。よしんばウェストン氏の功勞を記念する碑の立つことがありましても、何よりも其の命名になる名を保存しておく事が、どれほどいゝ記念になるかわからないと思ひます。それ位の雅量もなくて、外來語を忌み嫌ふ態度が、果して國立公園の面目なのでせうか。
日本アルプスも近頃はもう素人の登る山になつて、玄人からは顧みられなくなつた話をよくきゝます。
何樣富士の石室のやうに、到る處に小屋が出來て、登山旺盛時には、山が大便臭を帶びる、といふのでは無理からぬことゝも思はれます。
そこで玄人は低山性の山あさりか、ロックライミングの冐涜となるのださうです。
私も甞て、大和の吉野川流域から大臺原山に登り、北山川流域に下つて、再び前鬼山に分け入り、行者の家に一宿させてもらつて、大和アルプスの彌山から大峰へ縱走したことがありますが、イヤかういふ低山性の縱走なんてものは、カラ/\に乾いた石楠花の中か、晝尚ほ暗い茂林の中を行く位で、登山らしい快味より、變化のない不快味の方が先きに立つとも記憶してゐます。矢張り登山の快味は、殘雪の多少に比例するやうです。さうして、日本アルプスのやうに、略ぼ同標高の雪線に達する群峯競秀の場面が必要です。富士や白山や大峰に行くよりか、就中立山の人氣のいゝのは、七十二峰の環境に惠まれてゐるからでせう。
ロツクライミングに至つては、乘り物のスピードをエンヂヨイするのと同じ冐險の快味で、それは曲馬團の騎士にまがふ專門的部類に屬するやうです。瑞西アルプスの千峰萬岳重疊してゐると言つても、いづれ相似た、又た一律化された變化に乏しい山岳地帶に於てこそ、岩石の踏破、垂直の散歩も已むを得ない登山術にもなりませうが、それをそつくり日本へ移植して、新らしがるなどは、一體日本アルプスの何處を見て御座るのか、お尋ねしたい位のものです。
が、併し毎年同じコースをたどるといふわけにも行かぬから、尖端者は尖端者のやうな試みに走るのも當然なことかも知れません。別に馬鹿な眞似として嘲笑するにも及ばないでせう。
ともかく日本アルプスは、山岳中の公園であるといふことに、誰しも不賛成はあるまいと思ひます。登山をエンヂヨイする最好適地であることに異論はありますまい。それが大便臭を帶びるといふことも、エンヂヨイ連の一般化して行く一種の象徴として、山を愛する者は、むしろ之を祝福してもいゝ、ではない大杯を擧げて萬歳を唱ふべきであるとも考へます。
四國の石鎚山といふのは、標高は僅かに一九〇〇米内外の低山性なので、山としてはいふに足らないものですが、毎年七月一日に山開きをして、十日まで石鎚神社のお祭がある。四國は言ふに及ばず山陽山陰、遠くは九州邊からも、信仰團隊が登山します。各團隊の奉祀する分身の神體佛體──石鎚に次ぐ瓶ケ森山には觀音が祀つてある──を此日お山の本體に一年一度の參詣をさせて、新たに魂を入れることになつてゐます。所謂遊山登山でなくて、山靈奉祀の懸命な業なのです。七月に入ると、それら團體が陸續として伊豫路に入り、各隊共に法螺貝を吹いて、これから登る者下る者、夜も晝も「ブー/\法螺貝の音がして、一種の山靈氣分が漲ります。
さういふ山靈奉祀氣分の雰圍氣は、時に變態と言ふか、奇蹟といふか、常人はづれた奇業を敢てする者が、毎年相當な數に上るとのことです。たとへば、一週間の斷食をして、毎日頂上へ往復するとか、山中に庵を結んで、單に笹の芽ばかり食つて結伽するとか、又は洞穴の中に往つて十日間跪坐するとか、いふたぐひの荒業なのです。大峰又は前鬼山の山伏には、修業場といふ難行苦行を積む所定の場處があつて、危險に馴れさせる方法があります。私も前鬼山に泊つた時、其の修業場を案内されて、別に弱つたとも思はなかつた經驗もありますが、それは山伏といふ職業柄のことで、眞に山を跋渉する場合は、もつと恐怖に滿ちた場面の開展する一準備なのであります。が、石鎚のさういふ荒業者は、さういふ玄人の職業者でなく、多くは最愛の女に永別したとか、孤獨の身を多年神社佛閣巡りしてゐるとかいふ、厭世逃避者流が多いといふことです。
それでどういふ御利益があるのか、科學を信ずるものには、甚だ不可解な迷信に過ぎないやうにも考へられますが、併しさういふ荒業を試みるのも、或る肉體の鍛錬法、ラヂオ體操をやつたり、柔術を學んだりする、心身修業の一部類と考へられないこともないやうであります。少々野蠻な、獰猛な、體力を無視した方法ではありますが、若しそれに堪へ得る元氣があるなら、釋迦や達磨の先例に倣つて、一夏の工風を凝らして見たい思ふのであります。
さう言へば、日本の名山大川は、大抵投小角か慈覺大師の發見にかゝつてゐるやうでありますが、アノ時分どういふ行裝をして、道もない深山、猛蛇猛獸の間を跋渉しましたが、それらについて適當な研究の積まれてゐないのは遺憾であります。察するに、役小角などは、霞を吸ひ雲を呑む仙術に達してゐたのでなく、今日の石鎚の荒業のやうに、斷食的な修行が出來てゐたので、木の芽なり又た木の實草の根なり、そこに手近にあるものを食料代用とする便法をとつて、さまで苦痛を感じなかつたのでないかと思はれます。でなければ、當時のリユツクサツクたる芨に、何程の食料も携帶することは出來ない筈であり、登山縱走のコースを凡て何日と豫定することすら不可能であつた時代なのです。
文化的なロツクライミングより、かういふ原始に還元する登山方法も、或は考究されていゝのでないか、と考へる時もあります。
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