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赤い椿白い椿と落ちにけり
[表] 赤い椿白い椿と落ちにけり 碧梧桐 勝山通り [説明] 建設省松山工事事務所による「勝山通り道路整備」事業が、平成4年3月に完工した。 その際、勝山通り沿いに円柱を斜めに切った形状の石碑を10基建立。そのうち5基に俳句が刻まれている。...


さくらいけた花屑の中から一枝拾ふ
[表] さくらいけた花屑の中から一枝拾ふ 碧 [裏] 昭和七年四月二十九日建立 [説明文] さくらいけた花屑の中から一枝拾ふ 河東 碧梧桐《かわひがし へきごとう》 (一八七三 ─ 一九三七 明治六年 ─ 昭和一二年) 碧梧桐は松山市千舟町に生まれた。虚子と子規門の双璧《そ...


元日の雪降る城の景色かな
[表] 元日の雪降る城の景色かな 碧梧桐 [裏] 元日の雪降る城の景色かな 碧梧桐 河東碧梧桐《へきごとう》(一八七三~一九三七) 明治三七年新春の句。明治三六年の末から松山に帰省していた。元日に降る雪はその年の豊かな実りを寿ぐ吉兆である。「碧梧桐句集」より。 [説明]...


門構へ小城下ながら足袋屋かな
[表] 門構へ小城下ながら足袋屋かな 碧梧桐 [裏] 門構へ小城下ながら足袋屋かな 碧梧桐 河東碧梧桐《へきごとう》(一八七三~一九三七) 明治三八年一二月冬の句。松山は十五万石の下城下である。城北方面は職人や商人の町でにぎわっていた。「碧梧桐句集」より。 [説明]...


一枝に一輪十六日桜かな
[表] 十六日桜を詠む 静かなる山下影に庵つくり雪粧わせて見る桜かな 西行法師 西に行き法師もいかに初桜しばしとてこそ杖とまりけり 一遍上人 人の気を花に乗せゆく桜かな 松尾芭蕉 又たくひ世は梅さかり此の桜 小林一茶 噓のよな十六日桜咲きにけり 正岡子規...


釣舟見れバ鱚乃つりたく波足洗ふ
[表] 釣舟見れバ鱚乃つりたく波足洗ふ 碧 [裏] 昭和六十二年六月建立 川之江文化協会 川之江市観光協会 [説明] この句は大阪三昧句稿(大正15年9月19日)での作で、『三昧』にて「伊予川之江」と題して収録されている句。...


子を歩ませて下枝々々のさくら咲く方へ行く
[表] 碧 子を歩ませて下枝々々のさくら咲く方へ行く [傍の碑] 碧梧桐句碑建立 石川豊貴 窪田邦彦 星川勝利 石川 惇 薦田 剛 三宅隆男 石川昭一 篠原 敬 三宅康弘 石川智康 谷 宁 三好英二 石川 博 谷井英伝 三好美弘 宇田凱武 谷井 登 横尾機〇...


芦の風ざわついて残る蚊の出る
[表] 芦の風ざわついて残る蚊の出る [説明] 俳諧の里とされている宗林寺には数多くの歌碑・句碑が建っている。 この句碑はそのうちの一つで、本堂のある区域の、門を入って左側の句碑群のなかにある。 2023年9月6日追記/境内がどんどん物置化しているので注意 1枚目の画像が最...


さくら活けた花屑の中から一枝拾ふ
[表] さくら活けた花屑の中から一枝拾ふ [説明] 俳諧の里とされている宗林寺には数多くの歌碑・句碑が建っている。 この句碑はそのうちの一つで、寺の門を入って進んで右手側、松の木の下にある。 宗林寺境内にある他の碧梧桐句碑 名残の土筆摘む松三本のよりて立つ影...


名残の土筆摘む松三本のよりて立つ影
[表] 碧 名残の土筆摘む松三本のよりて立つ影 [説明] 俳諧の里とされている宗林寺には数多くの歌碑・句碑が建っている。 この句碑はそのうちの一つで、寺の門前にある。向かいに高浜虚子の句碑がある。 宗林寺境内にある他の碧梧桐句碑 さくら活けた花屑の中から一枝拾ふ...


散る頃乃櫻隣のも吹きさそひ来る
[表] 碧 散る頃乃櫻隣のも吹きさそひ来る [説明] 大正15年4月発行『三昧』に載る句。 『革新の書人 河東碧梧桐』164ページによると、平成21年当時の宇佐神社宮司の本澤氏により建てられた。真筆は、神社北隣に住む植松氏の蔵とのこと。「鶴亀帖」と名付けられた折帖仕立ての中...


一艘は出た亀島めぐる櫓声も遠に
[表] 一艘は出た亀島めぐる櫓声も遠に 碧梧桐 [裏] 昭和三年五月 河東碧梧桐 本町に清遊せし折の句をここに刻む 昭和六十三年十月吉日 仁尾町文化協会 施工 大西石材工業(株) [説明] 岩波文庫の『碧梧桐俳句集』に以下の記載あり。...


砂白ろ尓庭燎焚くらむ楠の冬
[表] 大山祇神社に詣でる 砂白ろ尓庭燎焚くらむ楠の冬 [裏] 河東碧梧桐《かわひがしへきごとう》(本名秉五郎)明治六年二月二十六日生 昭和十二年二月一日沒。松山に生まれ、父が正岡子規の漢学の師、兄が子規の友人であったため、早くから子規に近づき、また高浜虚子とも少年時代より...


きみを待したよ櫻散る中を歩く
[表] きみを待したよ櫻散る中を歩く 碧[印] [説明] 碧梧桐が来訪し、この碑の建つ別子ライン沿いで生まれた句である。建立者の一人である本田三嶺子によると、この時、碧梧桐は数人の俳人と共に集団の一番後ろを歩いていて、桜に見とれていた為に遅れてしまい、思わず口をついて出た言...
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