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さくらいけた花屑の中から一枝拾ふ

[表]

さくらいけた花屑の中から一枝拾ふ 碧


[裏]

昭和七年四月二十九日建立


[説明文]

さくらいけた花屑の中から一枝拾ふ

河東 碧梧桐《かわひがし へきごとう》

(一八七三 ─ 一九三七 明治六年 ─ 昭和一二年)

 碧梧桐は松山市千舟町に生まれた。虚子と子規門の双璧《そうへき》で、子規没後、日本俳句」の選者を継ぎ、やがて非定型自由律の俳句を唱《とな》えた。

 碧梧桐最初の句碑で、昭和六年松山刑務所(現在県立中央病院)内に、情操教育のため、虚子の句碑とともに建てられたが、昭和二八年八月、一七回忌にこの地に移された。

 松山市教育委員会

 『俳句の里 松山』


[説明]

高浜虚子の句碑「春水や矗々(ちくちく)として菖蒲の芽」とともに、昭和6年に建てられ、翌7年の天皇誕生日に除幕式をあげた。石材は、砥部町の銚子の滝から入所者たちが運んだ。

昭和28年8月、碧梧桐の17回忌に、今の場所に移された。平成8年の市役所前地下通者場建設工事に伴い、一度市役所駐車場前に移転したが、工事完了後は元の場所に戻っている。

俳句は『碧』11号に掲載。


場所:



最終来訪日時:2023.12.3



参考文献:

・神野昭著、編集『バスと電車でめぐる松山の句碑・歌碑』(国文学解釈と鑑賞別冊),至文堂,平成12(2000)年4月発行,p24

・松山市教育委員会編『俳句の里 松山』松山市子規記念博物館,平成25(2013)年3月発行,p4




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