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愕然としてひるねさめたる一人哉
[表] 愕然としてひるねさめたる一人哉 碧 [説明文] 愕然としてひるねさめたる一人哉 碧(梧桐) 河東碧梧桐。本名 秉五郎。 一八七三(明治六)年二月二十六日生まれ。 一九三七(昭和十二)年二月一日没。六十四歳。 勿體なや祖師ハかみ衣の九十年 句佛 大谷句佛。本名 光演。...


艸をぬく根の白さに深さに堪へぬ
[表] 若尾仲五郎墓 [裏] 艸をぬく根の白さに深さに堪へぬ 碧 ※裏が碧梧桐の句 [右側面] 天保八丁酉年十一月廿八日生 明治卅一丁酉年六月十二日歿 [左側面] 若尾丈六長男 享年六十有二 [墓誌] 若尾仲五郎墓 経年の傷みにより 改墓を施す 平成十九年八月十五日...


しほのよいふなあしをせとのかもめは鷗づれ
[表] しほのよいふなあしをせとのかもめは鷗づれ [説明] 個人宅にある碑。所有していた本に掲載があった書を元に碑を作成。 場所: 松山市内の個人宅 最終来訪日時:2023.2.12


炉の火箸手にとれば火によせてのみ
[表] 炉の火箸手にとれば火によせてのみ [説明] 個人宅にある碑。所有していた本に掲載があった書を元に碑を作成。 場所: 松山市内の個人宅 最終来訪日時:2023.2.12


春かけて旅すればしら紙の残りなくもう
[表] 春かけて旅すればしら紙の残りなくもう 碧[印] [説明] 洲本の医者、島氏の一代前である島太郎氏により昭和5年に建立。この句碑が建つ文学の森と呼ばれる石碑の巣窟は島太郎氏によるもの。 揮毫の書は、島太郎氏の一代前の島氏が自宅に碧梧桐を招いて書いてもらったものとのこと...


袖ふれておのれを菊を客の顧み
[表] 袖ふれておのれを菊を客の顧み 碧[印] [説明] 洲本の医者、島氏の一代前である島太郎氏により昭和5年に建立。この句碑が建つ文学の森と呼ばれる石碑の巣窟は島太郎氏によるもの。 揮毫の書は、島太郎氏の一代前の島氏が自宅に碧梧桐を招いて書いてもらったものとのこと。...


人首と書いて何と読む寒さかな
[表] 吟 碧梧桐 人首と書いて何と読む寒さかな 明治丗九年十弐七日 当地訪ねし折の句也 [裏] ※未読 [説明] 三千里の旅の途次、碧梧桐が人首の地を訪れた時の句。 「十二月七日。半晴。 きょうは十三里の道を遠野に行く予定である。人首まで六里を車行ときめた。七時半出発。(...


阪を下りて左右に藪あ里栗おつる
[表] 阪を下りて左右に藪あ里栗おつる 碧 [裏] 明治三十九年十月河東碧梧桐先生全國遍歴の途次此の坂を越ゆ 大正十五年十年建立 氏家町 獺祭吟社 小山飛南車 氏家美壽 福田喜三郎 和仁葭雪 薄井みつる 小菅憬石 渡辺富八 薄井千禽 小菅新四郎...


天下の句見守りおはす忌日哉
[表] 天下の句見守りおはす忌日哉 碧 ※そのほか未読 [説明] 村上霽月邸の裏手奥にある「常光寺」にある句碑。お寺にはほかに、子規の句碑が3基ある。 場所: 愛媛県松山市西垣生町1186 常光寺 最終来訪日時:2022.9.15 参考文献:...


草をぬく根の白さにふかさに堪へぬ
[表] 「草をぬく根の白さにふかさに堪へぬ」 [説明] 久米駅近くの如来院に建っていた句碑。撮影当時、お寺の工事により句碑が抜かれていたが、工事終了後は元に戻されるとの事(現在は元に戻っているはず)。 写真では、碧梧桐の句の面が下になっており見ることができなかった。...


銀杏寺をたよるやお舩納涼の日
[表] 銀杏寺をたよるやお舩納涼の日 碧 [説明文] 銀杏《いちょう》寺をたよるやお舩納涼《のうりょう》の日 河東 碧梧桐《かわひがし へきごとう》 (一八七三 ─ 一九三七 明治六年 ─ 昭和十二年) 河東碧梧桐は全国旅行をして、いわゆる「新傾向俳句」をすすめた。その途次...


瀬戸に咲く桃の明方の明日の船待つ
[表] 瀬戸に咲く桃の明方の明日の船待つ 碧梧桐 [説明] 碧梧桐の道と呼ばれる、高台のミカン畑に囲まれたところにある句碑。 ごご島里山作りグループにより、平成21年10月建立。 ほかにあと2基ある。 句は大正14年『三昧』。 場所: 愛媛県松山市泊町...


汐のよい船脚を瀬戸の鷗は鷗づれ
[表] 汐のよい船脚を瀬戸の鷗は鷗づれ 碧梧桐 [説明] 碧梧桐の道と呼ばれる、高台のミカン畑に囲まれたところにある句碑。 ごご島里山作りグループにより、平成21年10月建立。 ほかにあと2基ある。 句は昭和3年『三昧』。 場所: 愛媛県松山市泊町 興居島 御手洗碧梧桐の道...


島に住めば柑子沢山な正月日和
[表] 島に住めば柑子沢山な正月日和 碧梧桐 [説明] 碧梧桐の道と呼ばれる、高台のミカン畑に囲まれたところにある句碑。 ごご島里山作りグループにより、平成21年10月建立。 ほかにあと2基ある。 句は昭和2年『三昧』。 場所: 愛媛県松山市泊町 興居島 御手洗碧梧桐の道...


温泉めぐりして戻りし部屋に桃の活けてある
[表] 温泉めぐりして戻りし部屋に桃の活けてある 碧 [説明] ※以下大和屋本店様にお伺いした内容を引用 制作年月日は不明だが、平成8(1996)年8月8日の大和屋本店再創業(現在の建物での新築開業)の以来男子大浴場に設置してある。...


温泉めぐりして戻りし部屋に桃の花活けてある
[表] 温泉めぐりして戻りし部屋に桃の花活けてある 碧 [説明文] 河東碧梧桐 一八七三-一九三七 温泉めぐりして戻りし部屋に桃の花活けてある 大正十五年 [説明] 道後温泉の近くに、「俳句の道」と呼ばれる道路があり、歩道に「漱石」「子規」「波郷」「山頭火」ほかの句碑が全部...


赤い椿白い椿と落ちにけり
[表] 赤い椿白い椿と落ちにけり 碧梧桐 勝山通り [説明] 建設省松山工事事務所による「勝山通り道路整備」事業が、平成4年3月に完工した。 その際、勝山通り沿いに円柱を斜めに切った形状の石碑を10基建立。そのうち5基に俳句が刻まれている。...


さくらいけた花屑の中から一枝拾ふ
[表] さくらいけた花屑の中から一枝拾ふ 碧 [裏] 昭和七年四月二十九日建立 [説明文] さくらいけた花屑の中から一枝拾ふ 河東 碧梧桐《かわひがし へきごとう》 (一八七三 ─ 一九三七 明治六年 ─ 昭和一二年) 碧梧桐は松山市千舟町に生まれた。虚子と子規門の双璧《そ...


元日の雪降る城の景色かな
[表] 元日の雪降る城の景色かな 碧梧桐 [裏] 元日の雪降る城の景色かな 碧梧桐 河東碧梧桐《へきごとう》(一八七三~一九三七) 明治三七年新春の句。明治三六年の末から松山に帰省していた。元日に降る雪はその年の豊かな実りを寿ぐ吉兆である。「碧梧桐句集」より。 [説明]...
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