top of page

山川艸木悉有佛性

[表]

「山川艸木悉有佛性 碧梧桐」

[裏]

明治四十三年八月全国俳行脚の途次金平会同人の招きで碧梧桐夫妻週日の俳夏行を当寺にて営む(詳細は碧梧桐著続三千里にあり)

金平会の主な人々

榎村 宮脇茲雄

百雷 山口恒一郎

箕田 渡部綱興

樫山 高橋顕一

龍城 吉井龍城

昭和五十三年九月建立


[説明文]

山川艸木悉有佛性《さんせいそうもくことごとくぶっしょうあり》

河東 碧梧桐《かわひがし へきごとう》

(一八七三 ─ 一九三七

 明治六年 ─ 昭和十二年)

碧梧桐は明治六年、千舟町に生まれた。子規の俳句革新に参加し俳壇で活躍したが、のちに写生偏重の弊から新傾向俳句に転じた。

明治四三年八月に一週間、大蓮寺に滞在、俳夏行《はいげぎょう》を営み、その様子を「日本及び日本人」に発表した。旅が好きで自然に親しみ山川草木のことごとくに佛性を見出した碧梧桐の意をくんで地元有志が昭和五三年にこの碑を建てた。


俳夏行《はいげぎょう》とは、一室にこもって句作に励むこと。


松山市教育委員会

『俳句の里 松山』


[説明]

昭和53年9月、龍城(籠城)の子、龍洲が、当時の金平会々員の子孫と計って、大蓮寺蔵の碧梧桐独自の筆跡を拡大して作ったもの。石材は香川産の庵治石。

碧梧桐は続三千里の旅の時、このお寺で一週間程度俳夏行を行った。



場所:



最終来訪日時:2022.9.13



参考文献:

・松山市教育委員会編『俳句の里 松山』松山市子規記念博物館,平成25(2013)年3月発行,p141




Comments


bottom of page