[表]
若尾仲五郎墓
[裏]
艸をぬく根の白さに深さに堪へぬ 碧
※裏が碧梧桐の句
[右側面]
天保八丁酉年十一月廿八日生
明治卅一丁酉年六月十二日歿
[左側面]
若尾丈六長男
享年六十有二
[墓誌]
若尾仲五郎墓
経年の傷みにより
改墓を施す
平成十九年八月十五日
施主若尾葉子下川昭宜
[説明]
大正12年2月9日、土佐の俳人若尾瀾水が両親それぞれの墓を建立した際、父仲五郎の墓の裏に碧梧桐句を刻んだ。
この句が詠まれたのが大正11年8月のため、この間の期間に贈られたものだと推定される。
墓の経年劣化のため、平成19年に墓石が建て直されたが、新しい墓石でも碧梧桐の句もしっかり彫られていた。古い墓石はそばにあった。
若尾瀾水はこの地、吾川郡弘岡下ノ村生まれ。学生時代から虚子や碧梧桐と親交があり、子規庵にもたびたび出入り。子規が亡くなった際に子規批判の論考「子規子の死」を発表、俳壇の排斥を受け失脚するが、大正10年ごろに俳壇に復帰。復帰後は虚子や碧梧桐との親交も復活したか?
父の墓石には碧梧桐の句を彫ったが、母の墓石には虚子の直筆句「露時雨日々ぬらす土の下」、その後長男の墓石に子規の直筆句「鷲の子の兎をつかむ霰かな」を彫っている。
一度に子規・虚子・碧梧桐の句碑がみられるのは珍しい。
若尾瀾水本人の墓もあり、自身の句が彫られている。「走る子よ凧の上がるがうれしさに」「鯛売と連れ立つ春の山路かな」
場所:
最終来訪日時:2023.4.29
参考文献:
・高橋蛙、高橋以登著『いしぶみの風 ─土佐の句碑を尋ねて─』,高知新聞企業出版,平成12(2000)年4月発行,p176-180
・若尾愼二郎著『若尾氏考』,風蘭社,平成14(2002)年1月発行,p23-29
・島田三光著『革新の書人 河東碧梧桐』,思文閣出版,平成21(2009)年12月発行,p174
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