銀杏寺をたよるやお舩納涼の日
- 句碑 碧
- 2022年12月22日
- 読了時間: 2分
更新日:2024年7月6日
[表]
銀杏寺をたよるやお舩納涼の日 碧
[説明文]
銀杏《いちょう》寺をたよるやお舩納涼《のうりょう》の日
河東 碧梧桐《かわひがし へきごとう》
(一八七三 ─ 一九三七
明治六年 ─ 昭和十二年)
河東碧梧桐は全国旅行をして、いわゆる「新傾向俳句」をすすめた。その途次、明治四三年(一九一〇)八月一一日当地の結社・三津水戸鳥会《みとどりかい》の大会に参加、出席者は一修・雷死久・連翠《れんすい》・隣仏《りんぶつ》と碧梧桐で、その時の碧梧桐の句。その前に隣仏とあるのが当時の定秀寺住職で、その句は「納涼更けて子授け星の行く頻《しき》り」であった。
泉への道後《おく》れ行く安けさよ
石田 波郷《いしだ はきょう》
(一九一三 ─ 一九六九
大正二年 ─ 昭和四四年)
本願寺第二十四代ご門主ご巡回記念に植えられた印度菩提樹の後ろに句碑がある。石田家は定秀寺の門徒であったことから、句碑が建てられた。
松山市教育委員会
『俳句の里 松山』
[説明]
続三千里の際、松山の三津の大会で詠まれた句。平成2年に建立。
お寺の銀杏は当時から大きく、三津浜港に入港する船の目印になった。今でも本堂に迫る大きさだった。
2023年10月に、句碑の場所が移動した。下の画像の3枚目までは移動後。4枚目以降は移動前。
参考→定秀寺ブログ
場所:
最終来訪日時:2024.6.8
参考文献:
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