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河東碧梧桐


〇又た大雪だよといふて起された。

〇井戶側には丸う輪になつて二三寸も積んで居る。井戶から出て居る釣瓶の竿にも片面ずうと積つて居る。と思ふて、中をのぞくと、水に浮いて居る釣瓶の横腹にも白う積んで居た。

〇霜にあてゝは困るといふて預けられた萬年靑の鉢がある。今日仕舞はう/\と思ひながらまだ出し放してあつたら、雪に鉢共降り埋められて居た。丸い小山のやうになつて居て、靑い葉も見えぬのである。

〇音無川に沿ふた電話線の三十條許りが、手も届きさうにひづんで居る。線一本々々雪が氷りついて居るので、側目には一寸綺麗けれども、今にも切れさうで恐ろしい。吹雪の吹きつける度毎ゆら/\ゆれて居る。

〇電話柱をひき起さうと、工夫人夫四五名で雪の中に働いて居る。柱に上つた一人が「野が見えらア、可い景色だぜ」といふ。下に居る工夫長が「いつまでコツ/\やつてるんだ」と叱ると、杭を削つて居た人夫が「この又たてうなと來たら、途拍子もねえ切れねえや」といふ。工夫長「手がかぢけちまつて、萬力もしまらねえ」。人夫「この手を見ねえ、誰も彼もユデ蛸だア」。雪の上に据えた鐵の火鉢のやうなものに、炭火がちよろ/\燃えて居る。暫らく見て居た予も足の先が凍へるやうになつた。

〇鼠骨が來て千住へ雪見に行くといふ。ついて行く。出たのが三時頃。二人とも駒下駄。

〇田甫へ出ると北西を吹く非常な吹雪だ。町の雪と違ふて皆堅く氷つて居る。外套の袖や裾にたゝきつけるので、袖や裾も凍つて仕舞ふ。

〇眞白い原の中に、折々雀が飛ぶ。つぐみが飛ぶ。遠方に鐵砲の音が聞える。

〇深い雪は足の甲迄かくれて仕舞ふ。しばらく佇立して居ると、下駄が容易に動かぬ。其儘雪に埋るかと思ふ氣もする。

〇野中に高々と石地藏が立つて居る。其背中の方にばかり雪がふきつけられて居る。鼠骨が「背中にも一つ地藏さんが出來てらア、此方へ廻つて見ると、知らアぬ顏だね」などゝいふて居る。

〇寒竹が雪に押潰されて雪陰が見えて居る。雪陰の中にも雪が積んで居る。

〇可なり背の高い大きな竹籠を車に積んで來る。籠の上は眞白だ。行き違ひざま籠の中で、ウヰ/\と唸るものがある。豚を積んで行くのであつた。

〇野中の一軒家に大きな名札が出て居る。小高源助、全世界正吉、と併べて書いてある。全世界とは珍らしい名ぢやといふと、鼠骨が「全世界ぢやない、銀世界ぢや」。

〇千住の警察署の横の居酒屋にはいつた。着物の裾、足袋ビシヨ濡れ、中折帽子の凹んだところに水が溜つて居た。酒三合、蛤鍋、卵四。

〇大橋へ來て一錢蒸汽に乘らうとすると、乘塲には二艘いである。船の上には雪眞白だ。乘塲に男が居るので、橋の上から「舟は出ますか」と聞くと、「もう出ませんなア」と答へる。「いつから出ないのです」と聞いても、もう返答はない。

〇大河の北岸に繫いだ大きな船の舷で、炎々と火を焚いて居る。

〇警察署の向への家々は雪をきれいに掃いて居る。今もせツせと掃いて居るのだ。

〇千住街道には庇の雪を掻き落して居る家がある。

〇ホウ/\と大きな聲をかけて、傘を斜に構へて來る者がある。振返つて見ると白髪交りの婆々だ。

〇芋屋の灯、小間物屋の灯、床屋の灯、一番早くともつた灯である。

〇吉原堤の方から巡査が頭から眞白になつて出て來た。

〇宿に歸ると、七つになる汀公が「叔父さん雪見にいらつしたの‥‥牛若見たいな雪ね」と突然にいふ。「牛若の雪た何だい」といふと「それ叔父さん、あるぢやありませんか‥とう/\思ひとまりました、とうざいの牛若を懷ろに入れ、七つになる今若と、五つの乙若とを兩方の手に引きながら、都をさして上つて來ました。其時分は冬のことでしかも朝からの大雪‥ね、牛若の雪、大雪でしよ‥風は吹くし、道はわるいし、たゞさへ女の身で年はもゆかぬ三人の子をつれて行く心の苦しさは一通りではありません、懷ろの赤ン坊は寒いので泣きたてます。二人の子供は草臥れたと言つてむづかります、あつちをなだめ、こつちをすかし、やう/\のことで平家の陣屋に參りまして、私は常盤と申すもの、この通り三人の子までつれて自分から名のつて出ました‥‥‥」すら/\ともとらぬ口で述べ立てる。是はお伽話の諳誦であつたが、鞍馬山の大天狗から辨慶の五條の橋まで一氣に誦して「ね、叔父さん面白いでせう」と大きな目をくり/\させた。

 

雪六句

 高々と荷を積む馬の吹雪かな 碧梧桐

 日暮んとして徃來せわしや市の雪 同

 大橋の雪掻いて川に捨てにけり 同

 石段を上る人無し杉の雪 虚子

 星晴れて明るき雪の夜道かな 同

 靜かさは何か音して夜の雪 同

 

ホトヽギス第六巻第六號 明治三十六年二月十五日発行

 

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