新宿より熱海へ
- 句碑 碧
- 2 日前
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更新日:14 時間前
碧梧桐にしては珍しい、家族旅行で熱海行のバスツアーに参加している様子を描いた紀行文です。
書きおこしにあたり、なるべく旧字旧仮名で表記しています。但しフォントによってブレがあり、全て旧字になっていません。
『旅』13(1),新潮社,1936-01
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河東碧梧桐
此頃ラヂオで、南方伊豆のバス・ガールの如何にも居ながら其の境地に臨むやうな名所案内の聲をきいて、もう二十餘年前にもなる伊豆の旅を想ひ出してゐた。あのやうな美しい聲と、順序立つた說明をきゝながらの旅は、眞に隔世の感と言つてもいゝ、今昔の相違であるとも。
不圖思ひついて、家族づれで箱根伊豆の旅に上つた。
新宿からの小田急電車、電車といふと市内電車の短距離を標準にするせゐか、二時間近くもかゝる拘束が、如何にも退屈な感じだ。そこらを見計らつてゞあらう、菓子ビールなどの籠を持ちあるく、車内行商嬢のゐるのは勿怪の幸ひ、ビールと蜜柑とノシイカで、どうやら二三分がまぎらせる。
小田原驛内で、容易に乘り替へらるゝ箱根登山電車は、ホンの二三月前の開業だといふが、とても明るく淸らかで乘り心地は百パーセント。草津溫泉輕井澤間の高原電車などゝは比較にならない、正に昭和年代の新味十分な設備、それに氣の利いた車掌さんが、車體の說明から、會社パンフレツトの提供、至れり盡せりである。
散り殘つた紅葉の、きのふの雨に濡れた冴えた色彩を眩しく見下ろしながら、大方は枯枝になつた梢から、明神明星の山々を見透す、强羅溫泉の朝の氣分、霜白き冬もまた粛然として汚濁を淨化する魅力の尊さを持つ。其の上、木々の梢の錯綜した、だが、くつくりと描き出された枝々の線味と、山々の屈曲したスカイラインとの一つになつた繪畫美の明朗さ、同時に太陽を讃美する交響樂が奏でられてゐた。
早雲山へのケーブルカーから徒歩の豫定であつたが、これも出來たてホヤ/\のバス專用道路が開通してケーブルに連絡してゐる。
大涌谷から仰ぐ富士の、濃化粧した裸婦の其のまゝ。所謂身に一糸も纏はざる媚態、こんな富士を今まで見たことのない連中ばかり、あれお富士さんが、も似合ひの言葉。乘客の一人、どう見ても女體樣だ!。
富士に惠まれた日は、同時に蘆の湖にも幸ひする。一碧淸澄の感、漣も立たない湖面は磨いたやうだ。それにもう冬を知らせる鴛鴦の群、幾千幾百となく岸の木蔭に遊ぶ。この鴛鴦やがて船に馴れ人にも近づき、湖上淸遊の一添景とならば如何に。よしや渡り鳥であらうとも、年を重ぬるにつれて、この野禽を飼ひならす手だてなからめや。
箱根町に上陸して、再びバスのご厄介。舊街道の杉並木を出はなれて、やがて、駿河灣を瞰下す高原の迂廻路、十國峠あたりには、けふグライダーの競飛があるとかの人出幔幕、どの顏にも天氣晴朗一瓢を思ふ喜び溢れてゐた。
バス專用道路が盡きて、熱海に下りるまでが聊か退屈だと言へば、最初勇ましかつた騎士姿のバスガールも、半ば聲を嗄らしてアヽ草臥たと言つた疲勞のダンマリ、たゞ乘つてゐてさへイヤ氣のさす時分、大いに同情せざるを得なかつた、と言へば、逆さ富士から、杉並木、一軒家から韮山の山の名まで、バスガーールの名所案内が少々多きに過ぎはしないか。調子をとる餘裕のない咽で、立てつゞけに一杯の聲を張つては、腹も減らうが咽も潰れる。ラヂオで聽いた名調子を裏切られた不平よりか、末はどうなることかと初めからハラ/\させられてゐたものだ。
とは言へ、新宿から乘りつゞけで濟むこの車上ハイキング、處々で一列車一バス位を遲らして附近の散歩でも志せば、正に一月の淸遊文字通り、と禮讃の聲を放つて、割引運賃のお禮を申すことにする。
湯本から箱根一周をした二十年前には、女は駕籠、男は徒歩、さうして芦の湖、姥子、塔の澤と悠々三泊の旅であつた。その時は又それで愉快でもあつたが。─了─
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