『山 十月輯號』梓書房,昭和9(1934)年10月発行,p110-113
色々準備ができたら青空文庫に載せたいなどと考えていますが、それまではこちらで公開。
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久住高原
阿蘇が國立公園になるなら、それと不可分の關係にある久住連山を閑却したくはない。竹田といふ有名な南畫家の出た、豊肥線の一山間小都竹田驛から自動車約ニ十分、道はさまでの高低凸凹もなく、やがて久住山下の牧場に着く。
久住山は又た九重山とも書く。又た朽網《タタミ》山ともいふ。標高一千八百六十米突。山頂七重八重に突兀としてゐるから九重の名を得たのかも知れぬ。萬葉集に朽網山の歌があるから、其の秀麗な姿は、疾く道行く旅人の目標になつてゐたと思はれる。
寛政頃に出た「有方録」といふ書にも
四日曉氣悽愴、窓山悉晴、惟九重山生百雲、縷々不斷、隨消隨生、譬如續出……數里行草茅、九重盡後、阿蘇現前、路傍松柏成林、短矮不長、問之、阿蘇常燒、毎急風、煙氣撃博、是以樹不能喬……。
と敍してある。これを以て見ても、阿蘇と久住は、相距る數里に渡るとは言へ、固と相對して握手してゐる親類の仲であり、或は兄弟とも夫婦とも目さるべき間柄である。
阿蘇に登る者は、多く熊本方面から火口を觀るを主とする。自然其の背面にある久住を閑却してしまふ。
が、久住に攀る者は、何をさしおいても、はらからの阿蘇を展望しようとする。殊に其の脚下に開く廣さの測定し難い草茅の曠原を見晴らして、萬里長風の高原趣味に浸らうとする。
實際阿蘇久住を結ぶ一帶の大高原は、高山小丘で推し詰つてゐる九州にも、こんな大觀があらうとは、思ひも及ばぬ茫々漠々たるものだ。
阿蘇主峰、祖母、根子の䇄々たる連峯が、この原の主のやうに控へて、さも下界の有象無象に號令でもかけてゐるらしい、嚴肅な姿勢で立つてゐる。實際とりとめもないやうな平原が、大衆の沈默のやうな秘かな息吹をしてゐる。謠曲「國梄」にある文句ではないが、この沈默一度び破るれば、あの隈この隅、一齊に孫彦全群の叫喚呼應ともなりさうなのだ。
私の往つた時は、秋も末、久住の山々を飾る紅葉も大方散りがたになつてゐた。牧場の馬を借りて、山の中腹まで、萬里の旅人のやうな氣で、ゆる/\手綱をとつた。久住裾野のなるい傾斜が、見渡す限り芒の穂並み、それが折よく晴れきつた阿蘇連峯の脚下まで押し迫つてゐる。何といふおッ開いた眺望なのか、九州ビルディングの正に其の屋上露臺と言ふべきなのだ。襁褓臭い風の吹く都會ビル街の露臺とは、まるで品の違ふ白帝君臨の壯嚴清爽感だ。何だか目に見えぬ、旗幟堂々の行列が行くやうだ。敎導の八咫烏、忠僕の白兎白雉、それらの姿も、あたりにちらつく氣合だつた。
阿蘇は今、九州觀光の中心となつて、温泉《ウンセン》と共に四時の客を呼んでゐる。が、其の西南面せる表參道のみ專ら開拓されて、其の裏參道たるこの高原は顧みられてゐない。言はゞ嫣然媚を呈する其の正姿に魅せられて、其の強腰濶臀の裏態は閑却されてゐるのである。美人今何處にか行く、久住高原は永遠に久住の伴侶として、其の双棲偉容の禮讚を惜まないものである。
白根高原
草津温泉に往つた程の人は、輕井澤から發する、あの腦震盪でも起しさうなガタヒシ電車に降參しない者はないであらう。それと同時に、我邦唯一の高原電車と誇るほどあつて、或る標高に達した時、遙かに淺間を望む蜒蜒たる高原の大觀に眼を瞠らない者もないであらう。
電車の腦天に響く振動に、もう飽き/\して、健脚者は黒ぼつこの土でも踏まうか、と震動からの解放を念ずる頃、暢達際限を知らぬ景觀が展けるのである。それで始めて蘇生の思ひをするのである。
草津名物は、湯もみ唄でもなければ、春咲く鬼躑躅でもなければ、強度な硫氣温泉でもなければ、スロープのいゝスキー場でもなければ、高山性蕨の滋味でもなければ、いやそれらも名物といふにふさはしい一つであるかも知れぬが、私は何よりも先づこの白根高原の淺間に波及する大波濤を擧げたいのである。
私は「裾野」といふ簡單な言葉の持つ、響と意味に、言ひしれぬ悦びを感じてゐる者である。山を人格化したといふより、むしろ女性化した、和らぎと暖かさと、シナの美しさを、尚ほいろ/\の氣持をたゞ三音に含めてゐる。オヽー!山も女性的でなければ、そこに裾野の美は見出されないではないか。
富士の裾野、赤城の裾野、大山の裾野、皆それ/″\にいゝところがある。御殿場から山中湖へ越す籠坂峠、豊滿な山のうねりは、いつも自動車で疾走するよりか、ぶら/\徒歩でゆつくり味ひたく思ふ。赤城の大沼はさほど言ふに足らぬ。この頃新たに開墾するといふ沼田方面の大スロープ、そこにこそ赤城らしい面目が躍如としてゐるのである。日本海にまで裾をひろげた大山、少々あけっ放しではあるが、林の間に海光朝瞰の閃く大觀、米子海岸十里の松も亦たよき添景である。
白根高原の吾妻《アガツマ》溪谷へ向けてのスロープは、其の十分に翼を張つた裾野の果てに、彼方よりする淺間の、同じ和らぎを持つた裾野を迎へての結びつきである。單獨の裾野でなくて、其の握手であり接吻である。山中二麗人の手を取り合つての蓮歩、偉大な同性愛の現はれそのものである。南北アルプスの山彙、千峰競秀の中にも、かやうな高原的波濤の介在することが、山岳景觀の紅一點とも見るべきである。殊には裾野景觀の特異な存在である。握手的裾野の代表作である。
龜ケ森高原
四國の石鎚首峯を中心とする脊梁山脈の中に、矢張靈峰の一つに數へられる龜ヶ森がある。標高石鎚に次いで一七〇〇米突左右。
石鎚首峯は、山頂突兀たる岩石で、一の鎖、二の鎖、三の鎖の金鎖りをたよらなければ、登攀も出來ない峻嶮を極めてゐるに反し、龜ヶ森は頂上二千石原の名のあるやうに、一帶の熊笹原、廣袤里餘に渡つて、眞に甜めたやうなスロープなのだ。
高原といふには少々規模が小さい。若しそれが次ぎの高峰笹ケ峰と手を組んでゐるやうものなら、それこそ天下の珍であるが、伊豫の山岳地帶は、根が島國だけに、溪谷がせゝこましい。龜・笹の二女性、永久に相思の情を通ずる道を絶つの憾み深し。
だが、龜の笹原は、優に飛行機發著場にふさはしいと言はれる。臀に胡蓙をあてがつて漕いで下るのは、凪ぎに舟をやるやうであるといふ。この無盡藏な笹が、人絹の原料になり得るならと、安價な製作法に夢中な技師もあるといふ。
殊にこの笹原に、立ち枯れてゐる針葉樹、大方は樅の白骨樹、幹から枝の先き/\まで立木のまゝの姿であるのが、この高原の道しるべのやうに立つてゐる。竹には虎だが、こゝでは笹に飛龍なのだ。雲を呼んで、將に天に冲せんとする刹那の閃爪輝鱗、生きて動くの感がある。是れ亦た低山性高原の一風景である。
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