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飛咲きの菜種もあるや林檎園

[表]

飛咲きの菜種もあるや林檎園 河東碧梧桐


[側面(説明文)]

河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)

明治6年(1873)生れ~昭和12年(1937)没

俳人、本名秉五郎(へいごろう)。伊予(愛媛県)松山に生れ、三高に入学し1年で二校に転校し中退。高浜虚子とともに正岡子規の俳句革新運動に参加し、明治28年(1895)日本新聞社に入社した。子規没後「日本」俳句欄の選者となった。明治40年(1907)5月、竹浪昌三らに迎えられて来板し句会を開いた。



[説明]

平成17年12月10日建立。

句は、三千里の旅で詠まれたもの。

「五月二十二日。午前急雨。午後晴。

 午後林檎園を見に行く。林檎の木の生命は存外に短いもので、長くも二十年過ぎぬそうじゃ。それで果実のよくつくいわゆる木の盛時は、前後十年持つか持たぬかであると。この夜竹波庵一泊。(陸奥板柳にて)

  園内即時

 飛び咲きの菜種も散るや林檎園

(後略)」



場所:



最終来訪日時:2022.8.22



参考文献:

・河東碧梧桐著『三千里 下』講談社学術文庫、平成元(1989)年8月、p32



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